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創業からのあゆみ

1.親子3代の精肉店

 

1940(昭和15)年に初代・八島東吉郎(とうきちろう)が創業した「肉のやしま」。
福岡県前原市で初の精肉店としてオープンする。

2代目・猛美(たけみ)の目利きで、豚・鳥・牛の肉を良いものを安く仕入れていた。
お客様ありきの姿勢と親子二人三脚で、店は信用と信頼を勝ち取る。

3代目・且典は父から肉の扱い方や知識を教わりながら育つ。
物心がついたころには「大人になったら商売人になろう」と決めていた。

 

2.焼とり八兵衛の誕生

 

1983(昭和58)年7月15日、前原商店街にあった精肉店の一角に、3代目の且典が母と2人でオープンしたのが「焼とりの八兵衛」の原点だ。

焼とりなのに牛肉や豚肉も串に刺す、いわゆる「博多スタイル」。

ドリンクの看板商品は「酎ハイ」だった。

東京の居酒屋で一大ブームを巻き起こしていた酎ハイを勉強して福岡で勝負する。
これが当たった。

前原という地方の片田舎で、西日本エリアで売上ナンバーワンに輝くほどだった。

 

3.業界の常識をくつがえす新業態

 

2000(平成12)年5月1日、前原から競合店がひしめく天神に打って出る。
福岡市中央区今泉に天神店をオープンした。

「BGMにジャズが流れる洗練された空間づくり」「墨で書いたメニュー」「デザートなど既成概念にとらわれない一品メニューの充実」「いつも半歩先をいく心遣い」…

現店舗の原型ともいえるスタイルが完成されていく。

22坪の店は月商1000万円を超える繁盛店となった。

 

4.焼とりをより幅広い世代へ

 

2014(平成26)年5月に「ソラリアプラザ店」をオープンする。
この挑戦は大きな収穫をもたらした。

ファッションビルでの昼間からの営業という業態は、老若男女、子ども連れ、ハンディキャップのある方々までを迎え入れている。

何よりも嬉しいのは、子どもたちが焼とりを笑顔で食べる姿だ。

元来、男性の酒場料理として好まれていた「焼とり」が、レストランの料理として受け入れることを確信した。

 

5.博多の焼とりを世界へ

 

創業から30年以上が経ち、2014年台湾、2015年タイ、2017年ハワイに出店。

博多で生まれた八兵衛の焼とりは世界でも受け入れられた。

ハワイでは、日本人観光客が多くないチャイナタウンにあえて出店し、地元の食材を使った焼とりをご提供、連日地元のお客様で賑わっている。

このことで「焼とり」が世界に通用する料理であることをより一層証明した。

今では世界に「博多の焼とり」を伝えていくことがミッションとなっている。

 

 

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